彼らには助力を与えることができるだけである。
知識労働者は自らをマネジメントしなければならない。
自らの仕事を業績や貢献に結びつけるべく、すなわち成果をあげるべく、自らマネジメントしなければならない。
知識労働者が何を考えているは確かめようがない。
だが、考えることこそ、知識労働者に固有の仕事である。
考えることが、なすべき仕事の始まりである。
しかも、その動機づけは、成果をあげることができるか否かにかかっている。
彼自身がものごとを達成できるか否かにかかっている。
成果をあげなければ、仕事や貢献に対する意欲は減弱し、ただ体を動かしているだけとなる。
知識労働者は、それ自体独立して役に立つものを生み出さない。
知識労働者が生み出すのは、知識、アイデア、情報である。
それら知識労働者の生産物は、それだけでは役に立たない。
いかに膨大な知識があっても、それだけでは意味がない。
したがって知識労働者には、肉体労働者には必要のないものが必要である。
すなわち、自らの成果を他の人間に供給するということである。
靴のように、自らの生産物それ自体の効用をあてにするわけにはいかない。
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